還暦も過ぎた私が小学校の五年生頃まで住まわせて頂いた「奥山の御地蔵さま」から高田の村や学校に通う私たち家族にとって、美しくも水量豊かな円山川に架かるこの橋はなくてはならないものでした。帰りは、養父方面から山を越え「奥山の御地蔵さま」に戻りました。風の強い日は、向こう岸の竹藪がゆれるのを見て恐る恐る渡り、冬の雪の日は、母が橋に積もった雪おろしをして、学校へ送り出してくれました。こんな事もありました。橋が流されていた時に醤油も味噌もきれ、素麺をぬか漬けで食べた、その時の何とも言えない素麺の味、忘れられません。村の皆様と共にあった橋、幼かった私になくてはならたかった橋、永いあいだありがとう。今、幼かった私を可愛がって下さった村の方々の事を懐かしく感謝をこめて思い出します。ありがとうございました。
西宮市 道木直子(旧姓 斧山) 2010年7月発行高田の一本橋閉橋記念集より
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