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にしはんだ
 西土田
   人 口  世帯数
平成14年  400人   142戸
 平成24年 315人  125戸
増 減  -85人  -17戸 

■概 要

西土田区は平成24年6月末現在、世帯数が127世帯、人口319人となっている。集落は鳶が城から大倉部山に連なる山裾に開けている。国道9号線の開通以来沿線では活気を呈してきたが、一方で山麓部においては、獣害の発生等により耕作を断念する農地が増加している。東地区は、古来から多くの人々が生活をしてきた事が以下からうかがえる。

 
  ■東見寺遺跡
古来より、地区内には東見寺遺跡として称される円墳が有り、6世紀後半から7世紀初めの横穴式石室であるが、石室の床より上は失われている。当時の有力豪族の墓であったと考えられ、金銅装馬具、輪鐙、鏡板などが出土している。
 

■鳶ヶ城(土田富栖城)
■観音山城(土田布施城)

当地域一帯は、小縄千軒と称される中世の大集落は、東見寺跡一帯とみなされている。鳶ヶ城は、鎌倉・南北朝期の土田郷の地頭であった土田氏の居城として築かれたと伝えられている。史実によれば土田氏は、南北朝期に於いて南朝方につき、近隣の北朝方勢力によって滅ぼされたとのことである。
観音山城は、土田郷の地頭であった布施氏が築いたもので、鳶ヶ城より後期の築城と思われるが、羽柴秀吉による第一次但馬征伐の際滅ぼされたと推察される。

また、最近の研究によれば、鳶ヶ城の起源は古く天智天皇時代に築かれた「のろし台(烽=とぶひ)」の跡ではないかとの説もある。

 

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