■鳶ヶ城(土田富栖城)
■観音山城(土田布施城)
当地域一帯は、小縄千軒と称される中世の大集落は、東見寺跡一帯とみなされている。鳶ヶ城は、鎌倉・南北朝期の土田郷の地頭であった土田氏の居城として築かれたと伝えられている。史実によれば土田氏は、南北朝期に於いて南朝方につき、近隣の北朝方勢力によって滅ぼされたとのことである。
観音山城は、土田郷の地頭であった布施氏が築いたもので、鳶ヶ城より後期の築城と思われるが、羽柴秀吉による第一次但馬征伐の際滅ぼされたと推察される。
また、最近の研究によれば、鳶ヶ城の起源は古く天智天皇時代に築かれた「のろし台(烽=とぶひ)」の跡ではないかとの説もある。
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